まず英会話スクールやその他のスクールなどで導入されている、いわゆる”よくある”フォニックスとは何かを簡単にいうと・・・あるアルファベットや綴りを見せて、教える側が発音し、それを聞いた子どもが同じように発音し、という様な指導により、単語の綴りと発音との関係を理解する訓練をし、さらにはパターンつまり規則性を学習していく方法です。

さて、懸命なるお父さんやお母さんたち、
PHONICS、フォニックスとあまりに騒ぎ立てる風潮にはどうぞ惑わされないで欲しいものです。

その理由を説明します、がその前に、

ここでは正直カラいことも書いていますが、さらっと読むとポイントが誤解されかねないので、最初にいくつかお断りしたいと思います。

 ☆「いわゆるPHONICS」そのものについて、否定したり批判したりするつもりはありません。 「日本」での、その「使われかた」について言及いたします。

 ☆もちろん英語教育に携わる方々や保護者の方が「PHONICS」に興味を持たれ、実際に試みている努力に対してもその全体を批判したり否定する立場ではありません。フォニックスについて言及するいかなる方々もスクール等も、みんながみんな極端ではないということも皆さんにもお伝えしておきます。


 さて、最近の(私たちから見るとちょっと極端な)フォニックスばやりには気をつけたいものです。
 「フォニックス」が、まさに一人歩きしているようです。

 英語学習においてフォニックスは、いらない、とか、大事じゃない、とかそんなことを言うつもりは全くありません。
実際、有意義な学習方法のひとつです。

 ではどんなことを言うつもりなのかと言いますと、(日本の)児童に英語を学ばせる際に、最前面に出してやることではない、ということです。

 繰り返すようですが、PHONICSはいらないものではないですが、適切に、適度に教えられなければいけなく、英語学習の前面に出してやることではありません。 と言いますか、前面に出してはいけないのです。

 ここでは特に、(日本で)児童に対する指導においてのフォニックスの位置づけについて、に限り述べます。 ある程度の年齢と、そのうえでさらにある程度のレベル以上の人についてのフォニックスの位置づけではありません。そんな言い方ではあいまいかもしれないなので、参考までに大まかな線引きをするとすれば、少なくとも小学校の中学年や高学年までの子どもについてです。

 フォニックスが異常なまでに持ち上げて言われる場合おおかたの基本的な論理は、「アメリカでは(英語圏ではと言いたいところですが、なぜかアメリカを引き合いに出す場合が多い)、幼少時からフォニックスを(アルファベットよりもむしろ・・・という論調もよく見かける)学ばせる。それによりつづりと発音の関係を叩き込み字を読めるようにしている」のだから、「日本の子供も(今までそれがなかったから苦労するわけだから)フォニックスから入らせるのが(またはフォニックスを子どもにしっかり教える事が)有効だ。」というような理屈です。 

なるほど、その通りのように聞こえます。しかし、この明解であるように見える論理には、すっかり抜けている部分があるのです。どういうことでしょうか。

英語圏の子供たちで、何がしかのフォニックスの教育を受ける子達と言うのは、(とは言っても実際には英語圏の国の子供たちが一人残らず必ず「フォニックス」を徹底的にやっているとは考えにくいですが)、初めて「ママ」と喋った赤ちゃんではないですよね。少なくとも、だいぶん、いっぱしに喋るような幼児でしょう。つまり、基本的な日常会話は(年相応に)既にできるヒトたちです。その上で、アルファベットを教えながら、フォニックスを教えたりするわけです。 

多少極端を承知で説明しますと、 英語圏の国において文字をまともに読めない子(人)の為に読み方を教える為の指導法で、

で、実際、本が読めない子に限らず、広く普及もしている、

細かい事実関係はともかく、フォニックスの位置づけは何かを理解する為のイメージとして上のように受け取ってください。

人並みに言葉をもちろんしゃべれる、、いやへたしたら人より口数が多いような子だけど、字が読めない、という状況の子にどうやって読み方をあらためて教えてあげようか、というものですね。 そうでない子は、特にこんなことやらなくても人並みの覚え方で本を読めるようになっているわけです。

でも日本の子供にいきなりフォニックスを浴びせたって、まだそこまで「英語」そのものが体の中にないでしょ。

つまり、彼ら―英語圏の子供たち、と、日本の子供たち―は「同じ土俵に立っていない」のです。 

なぜ日本の同じような年頃の子どもが同じようにできる、と思えてしまうのでしょうか? と言うよりその点について疑問に思ったことがある人があまりいないということなのでしょうが、ここが大事なんです。 すでに日常的に英語を喋っている子どもが、教える大人の説明を聞き取る、その上でその意味を考える、または、考えるとまでいかないにしても、身に着けていく、のと、英語を習い始めたよ、または習ってるよ、という日本の子どもがいきなり「同じことをやる」には、まず最初の段階で無理があるでしょう。 既に知っている、そして日常の中で実際に自分で使っている、つまり話している単語を使って、あらためてその綴り方との関係を通し、読み方を覚えるのに対し、言葉としての英単語そのものも今から一から覚えていく日本人の子に、同時に綴り方や読み方を叩き込むのは、同じではないのです。

言われてみると、またはよく考えてみると当たり前だ、(のクラッカー、とのどまで出てきていましたが引っ込めました) という感じもしませんか?

話を戻し、「同じ土俵に立っていない」ヒトたちに「同じやり方」を持ってきてはいけないわけです。 「同じものをあげる」のがいけないのではなく、「やり方」がどうか、ということです。
再度言いますがフォニックスをただ否定するつもりはありません。 それそのものは有意義な指導法です。 実際私どもの英会話スクールの子どものクラスでも、フォニックスを教えることはあります。(なんだ、やってるんじゃないの結局、と言う前に続きを読んでくださいね) しかし、それらは、多少触れさせる程度であり、九九を2の段から9の段まで覚えるように、aからzまでひとつひとつフォニックスを積み上げ式で、覚えるというやり方であってはならないのです。 (ついでに言えば、九九の指導にしても、議論はイロイロありますよね。) 楽しい英会話レッスンと言っても、少しずつは単語も覚えていくわけですから、習った単語に対し、時折発音に触れさせるひとつの方法として、習った単語を使ってフォニックスを覚える、というやり方が望ましいのです。さらに言えば、ある単語のフォニックスを教える際に、その単語をすべて分解して全部フォニックスで読ませる、と言うのではなく、その中のひとつかふたつ、例えば“g”とか“a”とかに絞り、他にはこんな単語もあったね、というような使い方が効果的です。

さて、フォニックスについての説明で、よくあるのが、(説明上カタカナを使いますが)、例えば、
d = ドゥッ  o  = オ  g = グ 
で、
dog =ドウ ォ グ → ドォッグ
となるんだ、と言う話で、それを聞いた人は、「なあるほどそういう風に教えるわけか、」とすっかり感心してしまうわけですが、ちょっと待ってください。これは本来、(英語圏の国の)子どもが、すでにdogという単語を会話の中で身につけていて、つまりもう知っていて、そこでフォニックスにより、「そう綴るわけか…で、そう読むわけか」となり、ゆくゆくは、いろいろな単語を字として目にしたときに、見当をつけながら読んで、ああその単語ね、と読めるようにするしくみなわけです。 

もちろん、上のdogの説明そのものを否定していません。それはそれでそのとおりです。 単純にその教え方を大々的にまだ英語を習い始めたばかり(かもしくはまだまだ知れている段階の)日本の幼児に持ってくるのはどうか、と言いたいのです。(いけない、と言いたいわけですが。)

ではどの程度ならいいのか言う責任があると思いますが、例えばdogなら「d−d、d、(ドゥッ、ドゥッ)」( −カタカナはここでの説明上の都合ですよ、本当は、d、d、です)ぐらいを練習して、場合によっては、他のdの単語を発音したりと少し広げるぐらいでしょう。

つまり、単語としてのdogが既に頭にあり、それから分解して、また組み立てるのが英語圏の国の子どものフォニックス学習のしくみなのであって、いきなり、dは何で、oはどうで、gかこうだから、と入るのは、なんか真似はしたみたいに見えるけれど、だいぶワケが違う、と言うことがお分かりになるでしょう。

だから、フォニックスは日本人の子どもに対して教える場合は、英語圏の子どもと全く同じことをやるとすると、やる意味が違ってしまいます。 やるなら、正しい使い方で導入していかないといけないわけです。

一応の目安を言うとすれば、ある程度以上英会話や英語を習ってきた子を対象とするとして、本格的なフォニックスをやるのは12歳ぐらいまでは待ってあげたいものです。 それ以下の子供は、時折少しずつやる分には、面白いから別にいいでしょう。

英語学習全般に言えることですが、年齢とレベル相応のアプローチをしないといけないのです。年齢相応と入っても、英語圏の6歳と日本人の6歳では、一般的な精神年齢は同じであるとしても、言語としての英語の土台が全然違うのですから、英語圏の子どもの6歳に対する「年齢相応」と日本人のそれとは、それぞれ個別に判断されるべきです。(これもまたついでにいうと、年齢相応のアプローチ、と言うなら、計算や漢字の指導についても、同じようなことが言えますよね。 ここまでわざわざ読んで下さった方の中なら、同感の方結構いらっしゃると思います。 反論の方もしかり、でしょうけれど。 結局、英語の指導だろうがフォニックスの話だろうが、つきつめていけば、「教育観」)というあたりをさぐるにいたっては漢字や計算と共通の課題なんでしょうね。どうもうまく言えないですが。)

そんなややこしい話以前の問題として、気になることもあります。この落とし穴になかなか気づかないにしても、ある程度フォニックスの重要性についてそれなりに考えて興味を持つ方はともかく、よく考えて見ると、実はよく考えたことはない、「フォニックス、フォニックスというんだから、なんだかフォニックスなんだろうな」というノリで、フォニックス、フォニックス、と言うようになっているオトナ.が意外と多いのではないでしょうか。決してちゃかすつもりで言うわけではありません。 そのように煽る側に責任があると思います。英会話や英語塾、英語の家庭教師などの広告で、あまりにもフォニックス、フォニックスと言うので、すっかり無意識に疑問も理解もないまま鵜呑みになっている、というか、思いこまされているような場合が多いと感じます。

つまり英語に限らず、広告でバンバン言ったモン勝ちのようなことがよくあるので、気をつけたいとよく思います。こういった広告の中には、ひどい場合だと、よくも言うなあこんなこと、本気でそう思っているのか、読む人がどうせはっきりわかんないだろうという考えたか、いずれにしても意識的に極端な書き方をして煽ろうというのか、これではむしろ無責任だ、と感じることがよくあります。 

この「広告」や新聞や雑誌、テレビなどメディア危うさについても常々思う事もありますがそれについても違う機会にとっときたいと思います。さらにメディアといえばこのインターネットもです。このフォニックスについても、調べている人たちの中には、インターネットでは広告だけでなく、いろいろなコミュニティーの中での情報の影響も大きいようです。 (コミュニティーが悪いのでなく「情報」の長所と同時に存在する怖さについて言及したいのです) とすると、私たち自身これを読んでいただいている方々に対しては、あくまでご自分で差し引きながらどうぞ冷静に読んでください、と言わねばならないのでしょう。 そうすると、ここで書いている事の目的からすれば複雑な思いですが(なぜならこのページは「みんなどうか聞いてくれ〜わかってくれ〜 という書き方ですもんね。)、実際大事なことだと思います。

さて、この機会にここで触れたいのですが、以前、 「アメリカの子どもはアルファベットのa,b,c,d を ア、ブ、ク、ドゥ、と覚えます。」と言い切って宣伝していた広告がありました。 それを読んで「へえ」と思われた、もしくは何気なく読み飛ばした方もあると思います。今一度よく考えてみてください。

そんなわけないでしょう。「アルファベット」というのであれば、(説明上あえてカタカナで書きますよ)「エイ、ビー、スィー、ディー」と覚えるに決まっているじゃありませんか。
なるほど、リーディングをやり始めて、フォニックスを教えられて、”a”を“ァ”、”c”を“k(ク)”のように学習することはあっても、アルファベットをそうやって覚える、と言いきってしまうやり方は、もうむちゃくちゃと言いたいくらいです。

そして、もうひとつ、例え「フォニックス」を肯定したとしても、実際、そう簡単に教えられるものではありません。これこそ、ちゃんと分かっているネイティヴの講師か、日本人の講師であればそれに近いレベルの人が教えるか、さらにきちんとそれについて研究し理解した人がやらないと、台無しになってしまうようなことです。

どこからどうアプローチしても、フォニックスというのは、児童に教える場合は、なまじっかのことでやってはいけない、ということがきっとひとりでも多くの方にわかっていただけることを希望しております。

最後にもうひとつお伝えしたいこと、実はこれも重要な一面だと私たちは思いますが、英語圏の国のほとんどで、なるほどフォニックスを使ったリーディングの指導がよく行われているようですが、それらの国々ですらただ当たり前にやっているわけでなく、実は、結構賛否両論の中で行われているようです。場合によってはかなりの議論もあるようです。 日本にはそんな情報までは入ってこなく、目に見える部分だけが、まるで話題の新商品のように入ってきて、おまけに一番難しいところだけが導入された、、というような言い方もしてみたくなります。 
こうして書いてみると、人々の中を渡るにつれ、数奇な運命をたどった、孤独なフォニックスみたいな感じでなんだかかわいそうにさえなってきました。

どんな人が本格的「PHONICS」を学ぶとよいか。
私たちはこう考えます。

大人や大学生の学習者。

中高生以上で(もしくは12歳ぐらい以上)
真面目に「英語」や「英会話」に興味を持ち勉強している人。

それ以下の年齢の場合は、その子自身が自ら、何のはずみか、
リーディングにとても興味を持っている、
または、英語への興味が半端ではない、
という「極端」な子の場合。
(これはまぎらわしいから書かない方がよかったかな)

そうでもない場合、児童にどうしてもPHONICSを教えたいなら、

何の為に、その年齢で英語を教えるのか? を考え、

読み書きの「読み」が目的なら、
どのぐらいの(年齢相応の)英語全般の知識が先に備わっているのか、
を見極めながら適度に導入することが大事。

基本的な会話の知識がまだ乏しいのに、
PHONICSが追い越すほどのようなことをすると、
つまり小さい子に無理にPHONICSなんかやると、
何らかの学力にはなっても将来の英会話の実力に役には立つかは疑問。

率直に言えば
「ちっちゃい頃に無理すると
将来かえって英会話なんかできなくなっちゃう」
かも。

本格的導入時期の目安は、その子が自然に読むことに興味を持ち始めた時、
またはそれ以外の子は中学以降英語の知識もある程度できてから。

まともな「PHONICSは」本当は高校生以降(の英語マニア)で結構。

2006年12月14日
2006年12月18日 revised.

2007年3月8日  revised.
PHONICSについて(児童への英語指導において)
大人がPHONICSを論じること

子どもにPHONICSを教えること

同列においてはいけない
このページのsummaryとBottom Line。

(幼児や小学生の英語教育で)「PHONICS」は前面に出すことではありません。

「PHONICS」そのものがいけないわけではありません。

英語圏の子どもたちと日本の子どもたちは同じ土俵に立ってはいません。

「違う土俵」に「同じやり方」を持って行ってはいないか、注意すべきです。

「PHONICS」はどんな導入の仕方が適度で効果的か
綿密に考えて教えることが重要です。
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